明けましておめでとうございます。
年が明けて大分時間が経ってしまいました。
こういう記事を書いたりする人たちは去年の振り返りや本年の抱負など語るのでしょう。
年を超える前の僕もそう考えていたしプロットも組んでいたのですが、如何せんやる気が出ずにズルズルと時を浪費しておりました。
未だにこの原因を整理できておりませんが、少しづつ解明できて行ければと思います。
今更去年の振り返りと言うのも変な感じですので省力します。
今期はもう少し投稿速度を上げれればと思います。
目標は月に4~5投稿できればと考えています。
では本年も皆々様にとっても僕にとっても良い一年になりますよう
頑張りましょう。
現物の価値
こんにちは、みしのほそみちです。
この時期になると受験が近づいてきますね。
皆さんは受験に思い出はありますか?
僕は猛勉強して志望校に合格したや、努力実らず~と言った感慨深い思い出は特にありません。
なので「もうすぐ受験なんだ〜」と思い出したのは、ある休日に立ち寄ったスタバで殆どの席を中高生達が埋めていて、彼等が勉強会をやっていたのがきっかけでした。
そんな彼等の手元にはPCやタブレットが置いてあり、皆一様にそれを使って勉強をしていました。
勉学に特別な思い出がある訳でもない僕でも、試験前は教科書やノートを広げ、ページをめくりながら復習していました。
今の子供達は重みのある教科書等をあまり持たなくても勉強する事が出来るみたいで、良い時代になったのだなと思う反面、少し寂しさを覚えました。
どうしてそう思ったのかを少し考えてみました。
1番初めに思い浮かんだのは、教科書をペラペラ捲り目当てのページを探したり、この内容はこの辺りに書いてあっただろうとざっくりした感覚でページを開く、あの感じがないのだと思いました。
これを読んでくれている方も1度はその様な経験があるのでは無いでしょうか?
他にもインクの匂いや紙の肌触りなどもそうでしょう。
そう言う小さな『体験』『経験』が減って言っている事に僕は少し寂しさを覚えてしまったのかもしれない。
今の子達の考え方を聞く機会があまり無いのですが、近年は『現物』『体験』『経験』などリアルな物に関わる機会がどんどん減っている様に感じます。
槙島聖護というアニメキャラをご存じでしょうか?
『PSYCHO-PASS』という作品に登場するキャラクターで、近未来的な電脳社会の中で登場するキャラクターで、あらゆるものがデジタルで完結している世界です。
そんな世界で彼は「紙の本を読む」ことを勧めてきます。
少し長いですが、彼の言葉を引用します。
「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」
「調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。何故そうなのか考える精神的な調律?チューニングみたいなものかな。調律する際、大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」
彼は「本を読むこと」を精神の調律、つまり自分を整えるための行為として考えています。
あらゆる物が映像や電子で成り立っている世界で、触角的な感覚が必要だと彼は言うのです。
僕達が生きる現在もデジタル化が進めでおり、彼の生きている世界に近づいています。
僕自身、デジタル化の恩恵は十分に感じますし、便利な世の中になってきているのは確かです。
だからこそ彼の言う事は記憶に強く残り、小さな刺激を日々得る体験は必要な行為だと感じています。
何故ならタブレットやスマートフォンは軽くて便利ですし、紙の本の代わりに電子書籍を使えば、沢山の本を手軽に持ち運ぶことができます。こんな事は多くの人が理解しています。
ただ手軽さと引き換えに「味気なさ」や「物足りなさ」を僕は感じる。
僕はゲームを買う時、なるべくパッケージ版を購入するようにしています。
以前ダウンロード版で購入したのですが、何か違うな?と思ったのです。
特に感じたのはプレイし終わった後でした。
ゲーム機の中にソフトは残っていますが、手元にないのでプレイしたんだと言う感覚が薄く感じました。
それにゲーム紹介動画等は見ましたが記憶に薄いですし、覚えていません。
パッケージ版の場合、表紙に描かれたシーンや小冊子が入っていたり、それをプレイ前に読んでワクワク感が増したり、プレイし終わった後は棚に保管する。
たまにそれが視界に入る事でプレイしたんだと言う実感が得られる。
プレイしていた時の事を思い出すでしょう。
不要になれば売る事もできます。
それがダウンロード版ではあまり感じられない。紙の本や物理的なゲームソフトには、それ自体が持つ「触覚的な魅力」があると僕は思う。
こうした「現物に触れる感覚」が薄れていく現代で、僕たちは何を得て、何を失っているのでしょうか?
モニターを見ている中高生たちに感じた寂しさの正体は、もしかすると、紙の教科書をめくりながら自然と得ていた「体験」の繋がりが薄れていくことへの違和感なのかもしれない。
便利さを追い求める時代だからこそ、改めて僕は考えたい。
この違和感と折り合いの付け方を。
モニターやタブレットを通じた学びが主流になっていく中で、紙の感触や本の重みといった「物理的な体験」を懐かしく思うのは、過去を美化しているだけなのでしょうか?
ただこの記事を書いていて僕なりの一つの答えが見えてきました。
『動画は見せられているが、本などは読み込んでいる』
この差は小さくも大きい物だと僕は感じます。
自分のペースで自分で捲る、その1ページには自分の意思で捲り読み取る。
その行いが刺激が記憶に残る体験になるのではないでしょうか?
現物の価値なのではないか?
最後に余談ですが。
アニメのDVDやドラマなど・・・その辺りはAmazon等の動画サイトで見る方が僕は助かるなっと思いました。
だって・・・そんなに見返さないでしょう?人に寄ると思いますけど・・・
井の中の蛙、ネットに溺れる

こんにちわ。
みしのほそみちです。
最近は物価高や生活費の上昇で家計が圧迫されていることだと思います。
一方で僕たちが考える『モノの価値』が下がり、『お金の価値』は上がり続けていると感じます。
僕が子供の頃は五円チョコは5円で買えていました。 100円玉を握りしめ沢山の駄菓子を買い友達と遊んでいました。
今は後6円必要になり、五円チョコは11円になりました。
その他、駄菓子も値上がりしてしまっています。
ではその6円をどう稼ぐか果たして、それは本当に今の自分に必要なのでしょうか?
何かを犠牲にしてまで手に入れるべきものでしょうか? 僕はそこに疑問を感じます。
昨今SNSが普及した事で多くの人が他人の生活感や価値観が手軽に見れるようになりました。
それを見て画面に映る華やかな生活に憧れたり、羨望の眼差しを向けたりした経験がある人も多いのではないでしょうか?
そう言った感情が生まれることで目標ができ努力する原動力になる事もあると僕は思います。
なので悪い事ではないと思います。
一方でその原動力の向き方がおかしい人も居る。
そうなる要因としては焦りや競争心からくるのではないのかと僕は思います。
僕がよく見るハスキー犬の動画があるのですが、そこで質問コーナーの様なものがありました。
その時の質問はこう言うモノでした。
質問者
ユーチューブで視聴される人気のペットは何が良いでしょうか?
このような質問だったと思います。
ハスキーの飼い主さんの回答
そんな事でペットを飼うべきではない。
自分が投稿しているのは可愛い自分の犬の録画をスマホでは容量に限りがある為に保管するべく始めた。
副産物の結果が収益化だっただけで、それ狙いでペットを飼うなど辞めた方がいい。
女性飼い主さんなのですが、ここまでズバッと言っているのは気持ちの良いものでした。
質問者は副収入が欲しかったのでしょう。
ペットの動画は自発的に何かをしなくても絵にはなるので、楽に稼ぐことができると思ったのかもしれません。
何にしても僕は前向きな質問には見えませんでした。
仮にこの質問者が本当に実行したとします。
好きでもないモノを飼育してまでやることなのでしょうか?
うまく軌道に乗れなかったら、そのペットはどうなるのでしょうか?
妄想だとか考え過ぎだとか思われるかもしれませんが、僕は良くない事になる気がします。
現にインスタ映えしないと言う理由で、黒猫を捨てると言う話も聞きます。
『モノの価値』を見失い『お金の価値』を追い『命の価値』までも脅かす。
上記の内容の出来事や最近の暗いニュースなどを見聞きしているとそう強く感じます。
では『みしのほそみち』は好きなことで働いているか?
また楽をしようとしてないのか?
そう聞こえてきそうですが答えはNoです。
でも僕は何かを作り上げたりする事は好きなので、割り切って働いています。
それに僕は自分のことを凄くナマケモノだと思います。
そして楽なことは皆好きでしょ?と思っています。
僕がしている仕事は、おそらく他人から見ると小さな事で末端に過ぎません。
それでも必要だから対価を得ているし、そこに僕は満足しています。
つまり僕の幸福の最低値は超えているのだと感じます。
僕達はSNSと言う広い世界を知り、多くのモノを見て、多くのモノを得た。
そして、比較して、焦るようになった。
SNSでの比較が続くと、『モノの価値』ではなく『SNSでどう見えるか』が基準になってくる。
その結果、お金をかけることで得られる見栄えやステータスが重視されるようになるのも自然な流れに感じます。
インスタ映えを意識した消費やサイクルの早いトレンドに追われたり、他者と自分の暮らしを比較して『幸せの価値』を自ら引き上げてしまう。
SNSとしての役割としては十分すぎる成果を上げているでしょう。
購買意欲が高まり、多くの人に憧れを抱かれ、それが収益にも繋がる事もある 。
だからこそ『好きなことで生きていく』なんてキャッチコピーができるぐらいにユーチューブは広まり、現在も多くの視聴者や投稿主が存在しているのだと思います。
これだけ普及しているSNSですが、ほんの数年前までネットはオタクの文化みたいな立ち位置で蔑まされていた様に思います。
それが今では当たり前になり暇さへあれば見るような生活です。
そして利用する僕たちに構う事なく、見たいモノ見たくないモノを提供しお腹がはち切れんばかりの情報を与えている。
もうその状態が当たり前になっています。
このネット社会にモノを申したいわけではありませんし、他者と比較する事、自分を客観視する事、楽に稼ぐ事が悪いと思う訳でもないです。
ただ僕が言いたいのは『モノの価値』を下げてまで『お金の価値』を上げて他人と比較しなければいけませんか?
本当にそれをする価値があるのでしょうか?
お腹いっぱいの状態では動きが鈍くなるものです。
少しぐらい立ち止まっても良いじゃないですか。
焦らず、『モノの価値』の『モノ』を見失わないように自分のペースで歩いても良いと思います。
何より疲れませんか?上を見ても下を見ても際限はないと僕は思います。
『みしのほそみち』と申します
初めまして。
タイトル通り僕は『みしのほそみち』と申します。
「おくのほそみち」に似ていると言われそうですが、その通り少しもじってみました。
僕が文学に精通しているわけではありません。趣味の散歩やウォーキング中に、狭い道を見かけるたびに「みしのほそみち」と自分で呼んでいたことがきっかけで、このブログ内でのニックネームとして使うことにしました。
さて、このブログで僕がメインに書こうと考えているテーマは4つあります。
1つ目
大切な家族である保護猫ともう1匹の猫との暮らしです。保護猫を迎えて感じたことや、彼らと過ごす日々での気づき、飼う上で大切にしていることなど、僕自身の経験を綴っていきたいと思います。
2つ目
日常生活の中でふと感じる「モヤッ」とすることや、それに対する考えです。読んでいただいた方と共有・共感できる場になればと思っています。色々な方の意見に触れることで、僕の考え方も広がり、読んでくださる方にも新しい視点を持っていただけたら嬉しいです。
3つ目
現在、注文住宅を計画中で、ショールームを訪れたり、工務店とやり取りを多く行っております。その過程を自分のメモも兼ねて、リアルタイムで綴っていく予定です。同じように家づくりを考えている方にとって、少しでも参考になれば嬉しいです。
4つ目
最後に、読んだ本についての感想や学びです。アウトプットの場としても活用しつつ、読書で得たものを共有していきたいと考えています。
このブログが、同じような興味を持つ方々との交流の場となれば嬉しく思います。拙い文章も多いかと思いますが、少しずつ読みやすく、面白いものにしていけたらと思っています。
お目に留まりましたらどうぞよろしくお願いします。